まるでそれは、椿の花のように。
 ほとりと首から落ちるのです。
 潔く、鮮やかに。
 ほとりと命を散らすのです。
 そうして死に逝くことこそが、なによりの望みです。







 硝煙と、燻る木々と、焦げた肉の臭い。

 真近に銃撃音を聞きながら、弾倉を換える。傍らに転がる肉塊を盾代わりにし、スコープを覗く。
 この自動ターゲッティング機能のついた最新型ライフルは、元から彼が所持していたものではない。彼が使用していた初期型自動小銃は、敵軍の熱兵器の盾にしたせいでオシャカになった。しかし、この戦場には武器などいくらでも落ちている。
 ポイントが重なった瞬間に引き金を絞る。
 耳に残る高音を発し、レーザー状のエネルギーが銃口から伸び、ターゲットに寸分違わず命中する。高密度の粒子は、悲鳴を上げさせる暇も与えず、対象の頭部を蒸発させた。
 彼は一片の感情も見せず、素早く次の標的に狙いを定める。引き金を引いた一瞬後、肉塊が一つ増えた。

(これで目に見える範囲に、敵影はなくなった……)

 しかし気を抜くわけにはいかない。一瞬の緩みが、ここでは死へと繋がるのだから。
 彼は死体を積んで築いたバリケードに背を預ける。中には友軍の遺体も混じっているが、死体は所詮死体だ。
 ――ここは戦場なのだ。
 利用できるものは何でも利用し、活用しなければ生き残れない。

 ……もう、慣れた。

 彼はちらりと背後に目をやり、エネルギー残量が残り少なくなったライフルを捨て、自動小銃に持ち替えた。

「だから、殺すことにも」

 もう躊躇いはない。

 弾倉を換えたばかりの小銃が火を噴く。耳を劈く轟音が、虫一匹いない荒野に虚しく響き、積み上げられた死体を貫いていく。
 バリケードの向こうを人影が移動していく。早い。それを追いかける形で銃撃が走る。敵は彼が築いたバリケードを巧みに逆利用して、被弾を逃れている。これほど近付くまで気配を覚らせなかったことといい、彼と同じ特殊戦闘員であることは明らかだ。

「ちっ!」

 このままでは埒が明かないことを悟り、彼は自らバリケードの一角を破り、外に飛び出した。
 その間に残弾数を確認する。残り三十八発。一秒間に七発連射するので、五秒しかもたない。ポケットの中を探るが、弾倉は見つからない。

(こういうところが、俺の欠点だな……)

 機動歩兵は常に己の武器状態を確認し、活かす必要がある。しかし彼は一度熱くなると、それを忘れる傾向が間々あった。
 しかし今更悔いたところで後の祭りだ。

 敵は止んだ銃撃を訝しんだのか、逆側のバリケードの向こうに留まったままでいるようだ。しかしあと二秒もすれば、突入してくるだろう。
 その時を狙う。

 小銃のモードを中距離に切り替える。同時に土を踏む音を聞いた。
 彼は目前の死体を蹴り落とし、残り三十八発全てをぶつけるように放った。五秒間の弾雨の後、土煙が濛々と上がった。
 手応えはあった。

「やったか……?」

 呟いた瞬間。

 視界が赤く染まった。

 斬られたと理解するのに、一秒を要した。額から左目、左頬にかけてを一閃されたらしい。残った右目が、噴き出す血液をスローモーションで捉えた。

 敵の死体があるはずの場所を見ると、友軍の死体が穴だらけで転がっていた。死体には焦げたように千切れたロープが繋がっており、その片割れは他の五体ほどの死体に括られている。酸性溶液を使った時限トラップだ――ロープに垂らされた酸性溶液は次第にロープを焦がし、その先に掬ばれた死体はゆっくりと地面に降りる。その間に本人は他所に移動。完全にロープが切れて死体が音を立てて地に落ちる頃には、辺りは銃撃音が轟いている――まんまと嵌められた。

 一瞬の自失、しかし彼はすぐに銃身を敵の胸部に叩きつけた。敵がわずかに怯んだ隙にアーミーナイフを抜き、繰り出された斬撃を受け止める。金属音が交差し、直後、気配と共に一旦離れた。

 ――死にたくない。

 額から流れる血が右目に流れ込み、視界は殆ど奪われている。

 ――死にたくない。

 足音を立てるほど敵は愚鈍ではなく、一瞬の殺気に対応するしかない。

 ――死にたくない。

 彼は紅い闇の中で、ナイフを構える。

 ――死ねない。

 十秒経ったのだろうか、百秒経ったのだろうか。否、体内時計はまだ一秒すら秒針を刻んでいない。

 ――死ねない。

 暴発するように出現した殺気。それは絶対零度でいて、焼き尽くされるような紅蓮の色に感じた。

 ――まだ死ぬわけには。

「いかねえんだぁぁ!!」

 彼は吼えた。同時に右二十六度後方にナイフを突き出す――しかし。



 ……何故。



 凍りつくように、敵の気配が停まった――





 肉を貫く感触がナイフ越しに伝わった。
 確かな手応え。しかし敵は倒れる気配も、引く気配も見せない。
 状況確認のため血の沁みる右目を拭おうとした時、声が、聞こえた。聞きなれた、けれどここ近年ずっと聞いていなかった声が、彼の名を呼んだ。




「……ギロロ?」





 忘れるはずもない。その、いつまで経っても子供のように高い声を。
 間違えるはずもない。その、幼い頃、ずっと傍にあった声を。

 拭った右目にはすぐにまた血が流れ込んで、結局何も見えなかったけれど。
 彼は呼んだ。
 間違えるはずなど、ないのだから。





「……ケロロ」





 再会は、紅く染まる戦場だった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「ギロロも同じ戦場にいたんでありますなぁ」

 聞きなれた声が、聞きなれない口調で語りかける。ギロロは暫くの沈黙の後、肯定を返した。
 軍人のわりに小さな手が、ギロロの頭に器用に包帯を巻いていく。頬と目蓋の出血は治まったが、額からはまだじわじわと血が染み出して、白い包帯を紅く汚している。
 ケロロは申し訳なさそうに、ギロロの傷にガーゼを当てる。

「我輩、てっきり敵兵かとばかり思っていたのでありますよ。まさかギロロだなんて、思いもよらなかったしィ」

 軍人口調の中に僅かに残されたケロロの個性。それに気付き、ギロロは思わず口元を緩めた。

「お互い様だ。気にするな」

 あの時、ギロロが突き出したナイフは、ケロロの左手を貫いていた。グローブで保護されていたとはいえ、セラミックの刃はそれを突き通し、確実に肉を抉っていた。
 ナイフを引き抜いた瞬間の気持ち悪い感触が、未だ手に残っている。

 包帯を巻き終えたケロロは、次いで自身の手の治療を始めながら笑った。

「そうでありますな。我輩も手傷を負わされたことでありますし」

 そういえば、ケロロは気にするなと言えば、本当に気にしない奴だった。ギロロは笑みを苦笑に変えた。

 ケロロがメディカルキットをポーチに仕舞いながら立ち上がる。何を探しているのか周囲を見回しながら、ギロロに背を向けた。ギロロは感慨深くその背を見つめる。最後に会った時よりも、明らかに一回り広くなった肩。背は平均値よりもやや低いものの、体格は立派に一軍人として成熟している。揺れる尻尾も猛々しく――

「――尻尾?」
「え」

 紡いだというよりは零れたギロロの声に、ケロロが振り返る。ギロロの視線を辿り、行き着いて、頬を紅潮させた。
 湧き上がってくるものに耐えかねて、ギロロは思い切り吹き出した。

「貴様、まだ尻尾が取れていないのか!」
「ケッ、ケ〜ロ〜? そういうギロロはどうなん……って、無ぇし!」
「当たり前だ。もう十八だぞ」
「だって十八なんて、まだお酒も煙草もダミなんだよ!?」

 優等生のようなことを言いながら幼く両腕を振り回すケロロに、ギロロは益々笑いが止まらなくなった。
 一頻り笑い、それが収まる頃、ケロロは拗ねたように頬を膨らませていた。それを見て、ギロロは再び笑う。
 変わらない。ケロロは、やはりケロロだ。

 ――よかった。変わってなど、いなかった。

 まだ笑い続けるギロロを尻目に、ケロロは不服そうにブツブツ言いながら、バリケードへと歩き出した。

「……っおい、まさか行くのか?」

 ギロロが慌てて訊くと、ケロロは笑って否定した。

「我輩もギロロも食料切らしてるし。補給であります」
「補給って、どこで……」

 言いかけて、ギロロはぎくりと肩を張った。
 この敗戦色の強い戦場で、補給部隊が近くにいるわけがない。しかも立て続いた爆弾投下で、木々や動物は全滅、草一本すら残っていない。
 ケロロはバリケードを上から一体ずつ落としながら、その懐を漁る。中からは固形携帯食料が数本出てきた。
 全部の死体を漁った結果、三日は楽に食べて行けるだけの食料が集まった。

「おお、大量であります」

 当然のようにそれを食むケロロに、ギロロは初めて寒気を覚えた。これが本当に、あの不真面目ながらも友人思いであった幼馴染なのだろうか。
 死体の、それも仲間の死体の懐から奪った食料を、何の躊躇いもなく口にするなどと、神経がどうかしているとしか思えない。
 ギロロの咎めるような視線に気付いたのか、ケロロは言い訳をするように苦笑を浮かべた。

「我輩だって、初めの頃は抵抗があったでありますよ? でもさ、ギロロ」
「解ってる。言うな」

 ケロロが言い終わらないうちに、ギロロはその言を遮った。

「ギロロ」
「頼む。……殴りたくない」

 ――解って、いるのだ。

 ここは戦場だ。
 モラルとか、倫理とか、そんな『人間の世界』は通用しない修羅界だ。
 だから自分もまた、何一つ感傷を覚えることなく、仲間の死体をバリケードとして利用したのではないか。
 同じことだ。

 ――変わらないわけがない。幼馴染も、自分も。変わらないわけがないのだ。

 ケロロは黙って、再び食料を口に運ぶ。ギロロもまた、それらに手を伸ばす。

「俺たちは、散って逝った者たちの命を受け取るんだ」

 ケロロは何も言わない。
 それが己への言い訳であると自覚しながら、ギロロは乾燥肉を食い千切った。

 まるで、ゴムのような味がした。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 病院のベッドの上、ギロロは暇を持て余していた。

 あの戦場から生還してから、二週間が経つ。生還から四日後、つまり十日前に終戦した。
 結局、帰還した新兵はギロロたちを含めて二十四名――徴収された八万の新卒兵の中、たったの二十四名だった。それに対し、上級仕官の死亡者はない。
 しかし戦争というものは戦場のみで決するものではないらしく、これだけ大敗したにも拘らず、上層部の政治的な手回しによって、大局の勝利を得たらしい。

 ――では、あの日々に流れた血は、一体何のためにあったと言うのか。

『戦死した英雄たちよ。諸君等の働きがあったからこそ、我等は勝利を得た。誇らしく思って欲しい。諸君等は、ケロンの未来を築いたのだ!』

 点けっ放しのテレビが何か言っている。ギロロは叩きつけるようにしてテレビを消した。

 ――下らない。何が英雄か。

 死んでから特進したところで、何の意味があるというのだ。地位など、生きている者にしか意味のないものだ。死者は何も語らない。苦痛も、歓喜も。それに託けて『英雄』などという御綺麗な枠に押し込めて、遺族や民衆を言い包めているに過ぎないではないか。

 あそこから生還した者なら、きっと誰もが思うことだろう。

 なんて、下らない。

 ギロロは乱暴にベッドに背を預けた。
 それに続くように、不意にドアが鳴った。ノックだ。今時インターフォンを使わず、ノックという古風な手段をとる人物は、ギロロが知る中では三人しかいない。いや、今時三人もいると言った方がいいのか。
 ドアが開いて顔を見せたのは、案の定、その三人のうちの一人、ケロロだった。

「やっほ。生きてるー?」

 ギロロより一足先に退院したケロロは、今日本部に正式報告をしに行っていたはずだ。どうやらその帰りに寄ってくれたらしい。

「ああ、生きている」

 珍しくギロロが冗談を返したのに驚いたのか、ケロロは一瞬目を丸くした。しかしすぐに主導権を取り戻すかのように話し始めた。

「どうでありますか、傷の具合は?」
「問題ない。幸い眼球には異常がなかったからな。明後日には退院できるそうだ。まあ、傷は派手に残るがな」

 そう笑って言うと、余程ギロロの左目を心配していたのだろう、ケロロは胸を撫で下ろして、窓際にある椅子に座った。
 カーテンを開け放つと、椿の木が見えた。ずいぶんな大樹で、しかし季節を過ぎたせいだろうか、紅い花が一つ二つ残っているだけだった。
 互いに口を開くことなく、暫く静かな時間が流れた。換気のために僅かに開けられた窓から吹き入る、冷たいが春の匂いを含んだ風が伸びた髪を揺らし、頬をくすぐる。
 それを払おうと手を上げた時――

 ケロロの手が、ギロロの額に触れた。

 ギロロは思わず身体を強張らせた。

「随分伸びたでありますな。昔のお前みたいであります」
「お前が……切れと言ったんだろう」
「そうでありましたな。まさか本当に切るとは思わなかったけど」

 中訓練校に上がった頃のこと。
 ケロロの一言がきっかけで、ギロロは髪を切った。それまでは、ケロロと同じくらいの長さだったのだが。

「なんて言ったんだっけ、我輩。短い方がギロロらしいって言ったんだっけ?」

 違う。
 あの時、ケロロが言ったのは。

『お前、短い方がカッコイイよ』

 真に受けて、切った。真に受ける自分もどうかしている。けれどあれ以来、一度も髪を伸ばしたことはない。
 髪を切った次の日、ケロロはやや驚いたように目を瞠り、それから笑った。やっぱりその方がカッコイイと言って。

 思えば、その頃からだったのだろう。ケロロを好きになったのは。
 ただ、自覚したのはもっと遅かったように思う。高等訓練校へ上がった頃だ。
 もう一人の幼馴染――ゼロロが特殊訓練校に編入し、ギロロたちの前から姿を消した時。

 ――これで二人きりになれる。

 そう、思ってしまった。
 気付いたのは、この時。
 愕然とした。
 自分がケロロのことを好きであったという事実よりも、自分の中にこんな卑怯な思考を持っていたということに。
 恋愛関係に疎いギロロだったが、小等訓練学校時代から、ゼロロがケロロに向ける思いには気付いていた。その不器用だが直向な彼を、応援してやろうと思っていた。
 それなのに。

 それ以来、ケロロとは疎遠になった。意識的に避けていたのだ。
 何度かケロロが家まで遊びに来たことはあったが、ギロロはその度に何かと理由をつけて断り続けた。
 毎日毎日誘いに来るケロロに、ギロロはある日はっきりと、もう来るなと伝えた。


 あの時の、ケロロの顔を忘れることは出来ない。


 ギロロは目を伏せて、ゼロロを思う。
 彼ならば、もっと別の方法で、ギロロへの顔も立てた上での接し方をしただろう。誰一人傷つけることなく、ちゃんと。

 どうしてこうも、自分は不器用なのか。

 額に触れては離れる体温に、ギロロは意識を現在に戻した。
 ケロロの手が、優しくギロロの額を撫ぜている。

「……ケロロ?」

 呼びかけても答えはなく、ギロロはケロロの顔を覗き込むように見るが、逆光のせいで表情は伺えない。
 右目に映る手――先日ギロロが負わせた傷のすぐ傍に、引き攣れたような小さな古い傷跡を見つける。見覚えのある傷だ。

 昔、小訓練学校生だった頃、兵器の廃棄工場でふざけていて、まだ生きていた砲座を誤爆させて負ったものだ。
 三人の中でケロロだけが怪我をして、ギロロとゼロロは病院のロビーで、親や軍関係者にこれ異常ないというほど怒られたのだった。
 あの後、暫くの間、三人で遊ぶことを禁じられてしまった。

 不意に笑ったギロロに、ケロロは不思議そうに首を傾げる。

「いや、なんでもない。ちょっと昔のことを、な」

 ケロロは視線に促されて自身の手の傷を見る。
 何故か一瞬目を見張り、それから納得したように笑んだ。

「そんなことも、あったでありますな」

 寂しげな声で呟き、ケロロは席を立つ。

「ギロロも元気みたいだし、我輩もう帰るでありますね。また来るから、そん時はお茶くらい出して欲しいでありますな」

 相変わらず図々しいことを言い、ケロロはドアへと歩き出す。その背を見て、ギロロは思わず声を上げた。

「ケロロ、お前尻尾が……」
「ギロロ」

 こちらを振り向かないまま、ケロロはギロロの言葉を遮る。
 そして、小さな声で謝った。

「左目のことか? だったら気にするなと……」
「そうでなくって。……そうでなくって。でも、ごめん」

 どこか傷ついたような声。
 かつての彼と重なって、ギロロは言葉を詰まらせる。

 ドアが開くと同時に、体を滑り込ませるようにして、ケロロは病室を出て行った。

 一人残されたギロロは、ただケロロが出て行ったドアを見つめる。



 いつの間にか尻尾が取れていた、あの子。
 気付かない内に大人≠ノなっていた、あの子。

 ――変わってしまった、大好きな子。



 どうしてこうも、自分は不器用なのか。

 何も知らない間に、またあの子はどこかで傷付いていた。

「……俺は」

 大人になって、強くなれば、もう傷付けずにすむと思っていた。
 誰にも傷付けさせることもしない、と。

 なのに、どうしていつも守れないのだろう。



 窓の外、散り損ねた椿は萎れ、ただ惨めに項垂れている。
 陽が葉を透してシーツに模様を刻んだ。
 三人で見た、かの日の木漏れ陽と、何一つ変わらず。

「俺は、お前が……」

 飲み込んだ言葉は胸を潰し、あの子には届かない。


 膝の上で握った拳は、ただ虚ろに震えるだけ。







 散ることさえ出来ない椿の無様は、まるで私のようでした。



END.



戦闘シーン、難しいっすよ……
そんなわけで、ギロロ編でした。

ごめんよ、ギロロ。君には悲恋で終わってもらうよ。
時系列的にも、五人中一番最初の話なんで、かなり重く……あ、ゼロロ編も重いか。

一番重いのは、ラストを飾るケロロ編だけどね。

この幼馴染三匹は、どうしてもシリアス度高くなるですぅ。


はい、この「ゆめわらし」シリーズは、全部内容がリンクする予定です。
亀更新ですが、時系列バラバラで載っけてくんで、楽しみに(?)しててください。