転んだら、起き上がれなくなってしまいそうだから。振り返らないでください。
だるまのような勇気なんて、持ってないんだ。




だるまさん




「だ〜るまさんがこ〜ろんだ」

 急ぐはずの旅の途中、海こねこにんとジーニアスの遊びが始まってしまった。
 勝負が第三ラウンドに入った頃、ゼロスがいい加減に呆れたというように声を上げた。
 シルヴァラントから来たと言うこの四人組は、三者三様の反応を返した――その内一人と、もう一人いる同行者は反応すら返してくれなかったので、三対六つの目がゼロスに集中する。

「良いのではなくて? この勝負に勝てば称号をくれると言うのだし。これから先の旅に有益だわ」
「もうちょっとで勝負着くんだから、待ってよ。実はゼロスって短気でしょ」
「なぁなぁ、ねこにんって不思議な奴らだよなぁ。着ぐるみじゃないんだぜ、本物の毛と尻尾なんだぜ」

 計算高い発言と、神経を逆撫でる発言と、ゼロスの言葉を聞いていたのかいないのかわからない発言が返り、ゼロスは深く息を吐いた。

「嫌だねぇ、自分勝手な人たちで。早くプレセアちゃんを帰してあげなきゃいけないんでしょ〜よ。ね〜え、プレセアちゃん?」
「必要性……やや有り。待機します」

 巻き込まれた形で同行している少女に猫撫で声で同意を求めると、プレセアはこちらを振り返ることなく機械のように淡々と呟く。その目は霞掛かる橋の向こう、まだ視認できない大陸をじっと見つめている。

「あ……そう……」

 出鼻を挫かれたような気分で、ゼロスは少女の肩に伸ばしかけていた手を引いた。感情論を抜きにした徹底的な利害思考のその様は、どこかのドワーフが作ったと噂される、見たこともない自動人形を想像させた。

(けどまぁ、それでもあの子よりはマシなんだろうけど)

 肩越しに背後を一瞥する。そこには流れを止められながらも絶大な存在感を持ったマナが見えた。金の髪、白い僧衣、一見ただの旅業中の修道女といったところだが。
 その背には、輝く桃色の翼。
 シルヴァラントの神子コレットは、自由に出し入れできるはずの翼を背に負ったまま、ただそこに立っていた。プレセアのように何かを見るでもなく、その眼球はただ風景を情報としてうつしているだけのようだ。遊ぶジーニアスの姿も、次の目的地も、時折悲しげな視線を寄せるロイドの姿さえ映していない。
 そこにあるのは、ただ身体を生存させるための防衛本能――
 ゼロスは屈みこんでコレットの瞳を正面から見据える。もちろん攻撃対象範囲外で。

「濁ったビー玉みたいだな……綺麗な死体がそのまま歩いてる感じだ」

 コレットはゼロスの言葉も、存在も意に介することはない。ただ視線を感じたのか、ちらりとこちらを一瞥した。恐らく敵意の有無の確認のためだろう。
 一瞬、初めて視線が交差した。ゼロスは思わず息を呑む。しかしその紫色の目はすぐに、すいと逸らされた。敵意はないと判断したらしい。
 ゼロスは知らず詰めていた息を吐き、身体を起こす。上から見下ろすと、瞳は長い金色の睫毛に隠れて見えなくなった。それに僅かに安堵する。あの目は長く見ていたくない。

「俺さまは……こんなのごめんだぜ」
「何がだ?」

 ぼそりと呟いた声が聞こえたのか、ロイドが肩越しにこちらを見上げた。ゼロスは手を振ってそれを誤魔化す。ロイドは一度首を傾げ、しかし然程興味もないようで、すぐに背を向けた。
 そうこうしている内に、ようやく遊びに勝負が着いたらしい。称号証を手にしたジーニアスが走ってくる。
 海こねこにんに別れを告げて歩き出す。ロイドが手招きすれば、コレットは素直に従って歩き出した。それが本能によるものなのか、僅かに残る自我なのかは分からない。

(……後者なら良い)

 ゼロスは最後尾を歩きながら、そんなことを思った。在り得ないことだと知っているのに。

(なんて、ね。俺らしくもない)

 秘めて浮かべた自嘲は、多分誰にも見られなかっただろう。そのためにいつも最後尾を歩いているのだから。
 けれど不意に、本当に不意を突いて、コレットがこちらを振り向いた。視線がかち合う。ゼロスは思わず足を止め、反射的に作り慣れた笑みを被る。
 数秒の膠着状態。奇妙な緊張感に限界が来る頃、コレットが付いて来ていないことに気付いたロイドが彼女を呼んだ。

「…………」

 完全にコレットの背が向けられたのを確認し、ゼロスは我知らず詰めていた息を吐き出した。面に被せた笑みも外して、顔を覆って場にしゃがみ込んだ。
 無機質な硝子玉は、まるで全てを見透かすようで。
 動いたら、見つかってしまうような気がした。裏切り者の真意が。

「……だるまさん」

 聞こえた小さな声に、ゼロスは視線だけ上げた。プレセアだ。一メートルもない間合いでゼロスを見下ろしていた。
 彼女は自分の背丈程もある大斧を引き摺っているため、常に足元には地を抉った軌跡が轍のように付いてまわる。昨年敷き直されたばかりという石畳も、例に漏れず哀れな状態になっていた。レザレノの社員が見たら嘆くだろう、と何気ないことを思った。
 す、と。耽っていた目前に小さく白い手が差し出された。相変わらず感情を映さない碧は、しかし僅かに揺れたように見えた。

「もう誰も見てません」

 ゼロスは音がするのではないかという勢いで顔を上げた。
 見開いた目をプレセアは静かに見下ろしている。差し出した手を引っ込めるつもりはないらしく、しかしゼロスの意志に任せるままに、強制はしない。差し出された手は酷く小さくて、掴んだら潰れてしまいそうだ。
 ゼロスはその手を見つめ、しかし結局手を取ることなく立ち上がった。
 プレセアは無視された形になった手を気にした様子もなく下ろし、上がっていくゼロスの顔を追う。ゼロスはその視線から逃げるように苦笑する。

「プレセアちゃんが、見てるでしょ」

 ゼロスの言葉に、プレセアは僅かに首を傾げる。疑問に思ったわけではなさそうで、恐らく彼女の中に微かに残った癖なのだろう。
 らしくもなく、嬉しく思う。

「……そうですね」
「うん。見られてるから、まだ動けない」
「じゃあ、先に行きます」

 ゼロスは思わず頭を抱えたくなった。
 このプレセアと言う娘は、感情もないくせにやたらと敏い。酷く厄介だ。
 先手を打って釘を刺さないと、後々こちらが痛い目を見てたまらない。

「……あのさ、ちゃんと付いてってるから、振り返らなくて大丈夫よ?」
「そうですか」
「……そうなんです」

 最後は得意の『笑顔』で返す。プレセアは一つ頷いて歩きだす。先に行った連中を走って追わない辺りが彼女らしい。

「遅いよ、何やってたのさ! まさかプレセアに変なことしなかったろうね?」
「さすがに子供にゃ何もしねぇよ……ったく、ついさっき足止めしまくったのは誰でしたっけね」
「なっ、なんだよ!」
「……会話による移動速度の低下」
「あっ、待ってよプレセア!」

 さりげない、しかし必死のアプローチをものともされず、ジーニアスは涙声になってプレセアの背を追っていく。ゼロスはそれを意地悪くからかい、相変わらず最後尾に付いて歩き出した。
 ふと気付くと、最前を歩いていたはずのロイドが隣に並んでいた。前を見ると、コレットはリフィルの隣を大人しく歩いている。多分、先刻遅れた理由を聞きたいのだろう。

「ゼロス、何でさっき……」
「靴のボタンが外れちまってさ」

 ちょいと足元を指す。ロイドの目がそれを追う。ゼロスの靴は足首の部分をボタンで締める形状になっている。それが時折外れることがあるのだと言うと、ロイドはやや気圧されたように頷き、一度首を傾げて再びコレットの隣へ戻った。
 コレットが僅かにこちらを振り向く。走り寄るロイドを見たのか、その向こうにいるゼロスを見たのか、焦点の合わない瞳からは読み取れない。ゼロスは目を細めた。なるべくあの目を見ないように。
 やがて背に負った桃色の翼を揺らし、コレットは視線を正面に戻した。プレセアの桃色の髪が振り向く気配はない。

「……ピンクと相性悪いのかね、俺さま」

 そういえば、あいつの髪もピンクだったか。

 自分への憎しみしか浮かぶことのない――そうでなくてはいけない――少女の顔を思い浮かべ、愛しさに少し笑う。
 行く先に鬼切りもタンマもない。転ぶことは許されない。一回限りの真剣勝負だ。

「だるまさんがころんだ……か」

 ゼロスは相性が悪いらしいピンク色の服を翻して、この先騙し続ける鬼に抱きついた。



END.

なんなんでしょう。この話は。
収拾がつかなくなって……
とりあえず、ゼロスと合流した直後、サイバックへ向かう途中です。まだ誰もゼロスを、ゼロスは誰も信用していない頃。
この頃のゼロスの心境は、一番難しいです。セレスを救うために利用できるものはとことん利用するつもりでいるのに、ロイドたちはあまりにお人よしで、あまりにいい子で、あまりに無条件で。この辺りからロイドたちに対して、僅かに罪悪感を感じ始めてるといいな。無意識なんだけど。
中でもコレットとプレセアの存在は、一番ゼロスを揺さぶったと思うんです。ロイド君なんかよりよっぽど(ひでぇ)クルシスへ逆らった者の末路を目の前に突きつけられてるんですものね。しかもゼロスはそれが自分に降りかかるとは限らないわけですから。怖かったと思います。
ま、最終的にゼロスを救ってくれるのは、ロイド君だと信じてますよ。